皮膚から始まるウェルビーイング(その1)なぜ「皮膚」なのか
1.はじめに
ウェルビーイング・ライフスタイル協会の理事の根津ようこです。小児科医で、アレルギー専門医もしております。
その小児科医やアレルギー専門医の私が、ウェルビーングを皆さんにお伝えしたいことがあると言った時に、「なぜ皮膚なのか」というテーマで、お話をさせていただきたいと思います。
2.皮膚は身体の覆いもの?
私も結構この年になりまして、シワとか、張りもなくなってきましたし、毛穴も気になって、お肌ツヤツヤだとハッピーって言いたい。
実際に、小児科医として、アレルギー専門医として、ちょっと長い人生の半分以上過ごしてきましたけど、その中で気づいたことがありました。
アレルギーの専門医っていうことで見ていくと、だいたい、皆さんアトピー性皮膚炎で湿疹トラブル抱えている子どもたちがたくさん診療に来るわけです。
私は、医者になった最初の頃は、皮膚とは、要するに、いろんな体の臓器を覆っている「覆いもの」くらいの感覚でしか捉えていませんでした。
もって生まれたアレルギー体質があるので、しょうがない。だから直せなかったのです。
3.医療って一体なんなのだろう
それで、ステロイドを塗って炎症を抑えて、一時的に良くなっても、良くならない。いつまでも塗っていればいいけども、やめると悪化してしまう。
それで、いろいろ治療していながらも、もとに戻ってしまうのです。全然直してあげられていない状況で「医療ってなんなんた。何やってんのかな」という感じがしていました。
同僚の医者の中では、循環器や消化器、内臓の方を専門にやっている人たちからすると、もう命を救っている感がすごいのに、「アレルギーや湿疹、何それ」みたいに思われてるんじゃないかと勝手に自分で思っていました。そう言われたわけじゃないけど、そういう感覚にさえなったわけです。
4.アトピーという言葉
でも、そうこうしていると、ステロイドを塗っても治らない、治らないって言っている子どももいれば、なんとなく良くなって診療が終了してしまうような子どもも出てくるわけです。
それに、皮膚炎という言葉の定義自体がすごく曖昧で、アトピーという言葉自体が、ギリシャ語の「なんだかよくわからない」という意味合いの語源なのです。
アトピー性皮膚炎というのは、「なんだかよくわからない。原因がわからないのだけど、良くなったり悪くなったり繰り返しながら、ずっと長く続く湿疹」なのですが、アトピー素因を持っているっていうのがアトピー性皮膚炎の定義に入ってくるわけです。
「アトピー素因ってなんだ」と思うじゃないですか。要するに親からもらった遺伝的な体質ということであれば「それはもうしょうがないよね、もって生まれちゃったんだったらもうしょうがないじゃないか」くらいに思ってるんです。
アトピー素因というのは、具体的にはちゃんと定義があって、アレルギーの検査、血液検査してくださいって来た時に、 「あれ?抗体検査なのですけどね、数値が高く出ていますよ」言うと、「アレルギーがあります」と診断されるのです。
それで、抗体反応が高く出るとアトピー素因があるっていうふうに言うのです。
しかしながら、診察に来ている子どもたちは、血液検査すると全然そのような抗体反応出ない子もいるわけです。
アトピー素因がないということはアトピー性皮膚炎ではない。しかし、「見た目では、全然どっちも区別できない、 同じじゃないか、どういうこと?」と、混沌としながら診ていたわけです。
5.パラダイムシフトがやってきた
物事って、よくする、治すっていう時に、たとえば壊れた時計修理するにしても、 どういう仕組みでそれが動いているのかって分からないとそもそも修理できないじゃないですか。
もう時計が動かない。「あれ?どうしたのだろう。動かないな」って言いながらボンボンとか叩いてみたりしているような。
おそらく私は、そんな診療をずっとやっていたのです。だから悶々としていて、どういうことだろうと、思っていた時に、みんな同じようなことを思っているのだけど、経験的にこう捉えてきた現象から パーンと突然、突如パラダイムシフトが起きたわけです。発想の転換っていうか・・・。
アレルギー体質、持って生まれたそういう体質があるから指針ができたアトピー性皮膚炎になって、あとアレルギー疾患がどんどん進んでいくんだ、という考えがクルッと違うよ、となって、アレルギーの体質っていうのはそもそも遺伝じゃないんだ。皮膚がきちっとケアされない、トラブルが起きることからアレルギーが発症してくるのではないかと思いました。
6.生命維持に関わる臓器
それが皮膚に現れてきたものがアトピー性皮膚炎であるし、そこから食物アレルギーや喘息も発症してくるんだと考えました。喘息については、皮膚だけではなく粘膜なども関係してくるとは思うのですが、少なくとも、卵や牛乳、小麦だの食物アレルギーなどは、もう経皮感作といって、皮膚のトラブルから発症してくることが、色々な研究結果から明らかになったわけです。
そうすると、今までは、単なる身体の内臓の覆い物として捉えられていた皮膚 なんですけど、「皮膚炎くらいで死ぬわけないじゃん」と思っていた認識が、実はもう、生命維持に関わる、すごい重要な臓器なのだという認識が、私の中で、グルッと変わったわけですね。
7.命の始まりは皮膚
そういう認識で、皮膚を見つめていくと、いろんな情報が、いろんな方が、いろんな研究をされていて、そういう情報を集めていくと、あれこれの生命、要するに命の始まりとは「膜」言い換えると、私たちで言うと、細胞膜という、1つ1つの細胞を追う膜もあるんですけど、その集合体として、最終的にこの形を覆っている。
これ、すごく大事な場所なのではないか、と思ったわけです。
それで、地球上の あらゆる生物を見てみた時に、皮膚、もしくは皮膚に該当する組織を持たないものっていうのは存在しないっていうことにたどりつきました。こう、発見っていうか、気がついていたわけです。
私たちは、脳をすごく大事にする傾向があると思います。しかし、脳がなくても、 生きている生物はたくさんいるのだけど、皮膚がないと、もう死ぬんですよね。生命が維持できない。「すごいな、皮膚って」と思ったわけです。
植物であってもね、表皮細胞っていうのが存在するし、樹木であれば、樹皮って 皮ですよね。あれもちゃんと植物の皮膚としての働きがちゃんとあるわけです。
ということで、皮膚はすごく大事な臓器で、私たちのこの体の中でキーポイントの組織となっているのです。
8.子どもの心の問題
それから、最近、すごく子供の心の問題って増えてきているじゃないですか。
これも皮膚症状とすごく関わりが深いということを最近すごく実感しているのです。
小児の人の心の外来で、子供の心療内科のようなクリニックをしている知り合いの医師がいるのですが、そこにも、頼まれて、私が定期的に診察をしに行くようになったのです。
それで、何を頼まれたかというと、そういう不登校とか引きこもりとか、自閉症だと言われたり、多動って言われた子どもたちが、ほんとうにアレルギーが多い」と、その医師がおっしゃるのです。それで、「皮膚も痒くて綺麗じゃないんだよね。ちょっと見てくれないかな」ということで診療をしに行き始めました。
そこには専門のカウンセラーさんがいて、子供たちのカウンセリングもしているのですが、あるとき言われたのです。
実は、一緒に専門知識を持ったナースも一緒に連れていって、スキンケア指導などと言いながら、子供たちの皮膚を洗ってあげたり、 ローションとかクリームつけたりしていました。
「ちょっとここの皮膚がひどくやられちゃったね」なんて言いながら、軟膏をつけて、ガーゼで保護してあげるなど、皮膚処置を実際に行って、スキケアプラス皮膚処置っていうような形で関わることにしたのです。
それは、あの時、そのカウンセラーさんがおっしゃってくださったのは、先生方来て、 皮膚を綺麗にしてあげる。それで、この皮膚がね、次来た時にちょっと良くなっていったりすると、心の状態が変わってくるんです。それで、親子関係もちょっと改善してくるんです。
「すごいですね」と言われて、はたと気づいたのです。
9.皮膚の持ち主をいつくしむ
皮膚っていうのは、要するに、スキンケアをするっていうのは、その皮膚の持ち主を慈しむ行為なのです。
結局、その心の外来に通っているようなお子さんたちっていうのは、皮膚がひどい時に、親子からのネグレクトに近いような状態で、ちゃんとケアされていない、そのために皮膚炎を起こしているという子どももいました。
逆に、一見すごく大事にされていそうなのだけど、干渉、過保護など、親が勝手に親のやりたいように子どものことを扱っているのではないか、とも感じました。子どもたちが「自分が何かこうしたい」と思っても、結局それは親の意思でしか動けないので、「もういいよ」となってしまう。
ネグルクトを受けている場合も、それから過干渉を受けている場合もあります。
要するに子どもたちは、自分の存在が大事にできていない状態にあるということが共通しているのです。
10.あなたを大事に思っているよ
そうすると、スキンケアをしてあげるという、その行為自体が、その本人に「あなたを大事に思っているよ」ということを伝える行為になってるように思ったのです。
皮膚というのは、人間の情動とか、この癖みたいなものにも、すごく関わりが深いんじゃないかなっていうのも実感をしています。
というわけで、皮膚大事だぞというところから、ウェルビーングを考えた時に、ちょっと切り口を皮膚から言ってみたらどうだろうか、と思ったわけです。
<皮膚から始まるウェルビーイングvol.1〜なぜ皮膚なのか〜>
*冒頭20分を公開しています